絶世の美人という説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 02:16 UTC 版)
額田王が絶世の美人であったというのは小説などでは通説となっている。しかし額田王に関する記述がごく限られている以上、その容貌について物語る史料があるわけではない。梶川信行(『創られた万葉の歌人 額田王』)によれば彼女の容貌については上田秋成の『金砂』が早い例だという。つまり上記の三角関係を想定させるような歌から彼女自身のイメージが後附けされたものとの説である。この三角関係についても富士谷御杖(『萬葉集燈』)・伴信友(『長等の山風』)の発言など江戸時代のものが早いと思われる。「伝説」は根強いものでもあるようで、額田が美女であるとの根拠はないとの発言をしたところ聴衆から食ってかかられたこともあると梶川は述べる。これに類する逸話としては、伊藤博も「額田王について一般的にもたれているイメージは確証のあることではない」という趣旨の講演をおこなったところ、或る婦人に内容の撤回を求められたというものがある(『萬葉の歌人と作品』)。聖徳太子についても藤枝晃の講演をめぐって似通った逸話(大山誠一『〈聖徳太子〉の誕生』)があり、歴史上の人物というものが史料からわかることと一般に知られる像との間におおきな開きがある例として注目される。
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