絶交状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 05:32 UTC 版)
馬琴はまた、「幼きより女の本にならんとて、よろづを心がけられしは第一のあやまりなり」と述べ、真葛が9歳のとき女性の手本となろうと決心したことをそもそもの間違いであると主張し、「心の抜け上がり」の体験については「みなあだ事にて、ひとつも当たらず。識者には笑わるべし」と述べ、「かくてそのさとしによりて、五十年の非をしらば、これ真のさとりなり」として、真葛50年の生涯の非を認めれば、それこそ「真のさとり」であると述べた。 馬琴は、このように『独考論』を締めくくって、添えた手紙には「をとこをみなの交りは、かしらの雪を冬の花と見あやまりつゝ、人もや咎めん」と記し、男女の交流は老年であっても誤解を招くおそれがある旨述べたうえで、著述の生業に時間をとられること、また、思うところあって旧友とも疎遠にしていることを付して、真葛との交わりは「これを限りとおぼしめされよ」 と絶交の意思を告げている。
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