統一ソマリ会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:12 UTC 版)
「アリ・マフディ・ムハンマド」の記事における「統一ソマリ会議」の解説
1970年代のソマリアでは、第3代大統領のモハメド・シアド・バーレがオガデン戦争に失敗し、その後クーデター未遂とされる事件が数件起こった。これらに与したとされる人物の多くが逮捕され、一部は海外に逃亡した。 1980年代の終わりになると、バーレ体制はかなりのほころびが目立つようになり、国中で抵抗運動が発生した。中でも、ハウィエ氏族が主体の軍閥・統一ソマリ会議 (USC) は地盤がモガディシュに近かったこともあり、大きな影響力を持った。 統一ソマリ会議は元々イタリアのローマでアリ・モハメド・ワーディグリーが設立した団体で、アリは有力メンバーの一人に過ぎなかった。途中から、インドに滞在していたモハメッド・ファッラ・アイディードが参加し、統一ソマリ会議軍事部門のトップに立った。1990年に統一ソマリ会議幹部のイスマエル・ジュマレ・オッソブレが死去すると、アリとアイディードは対立した。対立の原因には、ハウィエの出身支族が異なること(アリはアブガル支族、アイディードはハバル・ギディル(英語版)支族)や立場の違い(事務畑のアリと軍事畑のアイディード)があった。
※この「統一ソマリ会議」の解説は、「アリ・マフディ・ムハンマド」の解説の一部です。
「統一ソマリ会議」を含む「アリ・マフディ・ムハンマド」の記事については、「アリ・マフディ・ムハンマド」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から統一ソマリ会議を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 統一ソマリ会議のページへのリンク