給水業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 03:37 UTC 版)
「アルフレッド・ジェラール」の記事における「給水業」の解説
オランダ人のヴァン・デル・ポルデール(Van del Polder)夫妻がアムステルダムから来日したのは1866年2月3日のことであった。ポルデールは居留地136番に店舗を構えるとともに、同年夏よりジェラールと組んで水供給業を始めた。しかしポルデールは1867年6月に急逝し、以降はジェラールが単独で雑貨商と水供給業を併営した。中村地字池ノ谷戸で湧いた水を居留地188番の事務所まで運び、居留地向けに販売した。山手77番の水源で取水した水は、当初は樽詰めして販売していたが、のちに堀川までパイプを敷設し、小舟に積んで港内に停泊中の船舶まで運ぶ大掛かりなものとなった。この施設は水屋敷と呼ばれ、下部貯水槽は2001年より登録有形文化財となっている。ジェラールの水販売の広告は1877年まで確認され、居留地188番での水販売はこの頃まで行われていたとみられる。ヘンリー・S・パーマーによる近代水道が1885年に着工、1887年10月17日より供給開始し、居留地向けの水販売はこの頃で終了したとみられるが、船舶向け水供給はその後も続いた。1922年に「ジェラール給水株式会社」と称する船舶給水会社が設立されたが、ジェラールが撤退した後の山手77番に開設したということで、無関係の日本人がジェラールの名前を借りたものと考えられている。この施設は翌年の関東大震災で崩壊したが、水源は被災者にとって重要な給水場所となった。
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