結婚、側室、子供
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:13 UTC 版)
「ムーレイ・イスマーイール」の記事における「結婚、側室、子供」の解説
ムーレイ・イスマーイールには4人の本妻がおり、中でもクナタ・ベン・バッカールは美貌と知性と学識で有名だった。彼女は、イスマーイールが助言を聞き入れた数少ない人物の一人だった。後に六度も君主の座に就くムーレイ・アブドゥッラーは彼女の息子である。ララ・アイシャ・ムバルカ(ゼイダナとも)もまた妻としてイスマーイールに相当な影響力を持ち、息子のムーレイ・ゼイダンを君主の座に就かせようと長年画策し、これは父イスマーイールに息子が処刑される1707年まで続いた。彼女はヨーロッパ人達に「モロッコの皇后(Empress of Morocco)」と呼ばれていたが、イスラム教では他の妻達よりも優遇される妻は存在せず、ヨーロッパのような皇后や王妃という地位も存在しなかった。 彼の側室の多くは断片的にしか書面に残っていない。側室としての彼女たちは奴隷の捕虜であり、ヨーロッパ出身の者もいた。フランスの外交官ドミニク・ブスノーの著書によると、イスマーイールには少なくとも500人の側室とそれを上回る数の子供がいた。1703年には合計868人の子供(息子525人と娘343人)が記録されており、1727年の彼の死後すぐに700人目の息子が誕生し、その時までに彼は1000人をはるかに超える子供達を設けていたという。最終的な総数は不確定で、ギネスブックでは1042人と記録されているが、ウィーン大学の共同研究は総人数を1171人と出している。いずれにせよ、史上最も多くの子供を作った人間がムーレイ・イスマーイールだと見なされている。
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