組合活動と赤狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 23:32 UTC 版)
「フランク・シナトラ」の記事における「組合活動と赤狩り」の解説
1940年代後半にハリウッドをも覆った「赤狩り」にシナトラも巻き込まれた。アメリカでは映画会社の不当な拘束に対して、俳優たちがSAGという俳優労組を結成しており、シナトラはこれに所属していた。またジョージ・エヴァンスの影響で民主党支持者であった。 さらにアメリカでは新興移民かつ少数民族であるイタリア系であり、さらに当時当たり前とされた黒人に対する人種差別に批判的なスタンスで、「アメリカ民主青年同盟」や「進歩的アメリカ市民連盟」といった「進歩的左翼組織」と縁が深かった ことで、1946年1月に下院非米活動委員会でシナトラが「共産主義者の看板として行動している」として非難されたほか、「容共的」であるという疑惑をマスコミに持たれ、1950年になるとついにはワシントンD.Cのアメリカ合衆国国防総省に呼ばれた。 しかし、ジョセフ・マッカーシー上院議員率いる非米活動委員会への召喚は免れ、疑惑を受けただけで疑いは晴れたが、同時期の朝鮮戦争への慰問部隊には過去の政治活動を理由として選ばれなかった。なお、この時「容共的」との疑惑を持たれたことから、これ以降ジョン・F・ケネディやリチャード・ニクソンなどの反共的な政治家と親密になるが、人種差別に対して批判的なスタンスは変わらなかった。 なお、スランプの際の1951年11月にナンシーと離婚が成立し、エヴァ・ガードナーと結婚 したが、人気復活とともに再発した浮気癖が原因で1957年に離婚している。
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