純粋小説論
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1935年(昭和10年)1月、この年新設された芥川賞の銓衡委員となる。4月、「純文学にして通俗小説、このこと以外に、文藝復興は絶對に有り得ない」と説く「純粋小説論」を『改造』に発表、『紋章』での「私」を「自分を見る自分」という「四人称」であると説いた。 また「日本文学の伝統とはフランス文学であり、ロシア文学だ。もうこの上、日本から日本人としての純粋小説が現れなければ、むしろ作家は筆を折るに如くはあるまい」と書いた。「純粋小説論」はこの頃に翻訳が出たアンドレ・ジッドの「贋金つくり」の意識的なメロドラマ性が影響している。 1935年(昭和10年)8月から12月にかけて『東京日日新聞』・『大阪毎日新聞』に「家族会議」を連載し、東京と大阪の方言を対比させた。 1935年7月、『紋章』が第1回文芸懇話会賞を受賞した。
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純粋小説論
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横光利一は「純粋小説論」(初出『改造』1935年)の中で「四人称の発明工夫をしない限り、表現の方法はない」と主張した。それは「自意識」つまり「自分を見る自分」という人称であると説明される。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}...現代のように、一人の人間が人としての眼と、個人としての眼と、その個人を見る眼と、三様の眼を持って出現し始め、そうしてなお且つ作者としての眼さえ持った上に、しかもただ一途に頼んだ道徳や理智までが再び分解せられた今になって、何が美しきものであろうか。(中略)けれども、ここに作家の楽しみが新しく生れて来たのである。それはわれわれには、四人称の設定の自由が赦されているということだ。純粋小説はこの四人称を設定して、新しく人物を動かし進める可能の世界を実現していくことだ。まだ何人も企てぬ自由の天地にリアリティを与えることだ。... —横光利一、「純粋小説論」『愛の挨拶/馬車/純粋小説論』講談社文芸文庫、1993年、270頁
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