米軍横浜海浜住宅地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 02:15 UTC 版)
太平洋戦争敗戦直後に本牧十二天を含む中央部が米軍に接収されるに伴い、住民達は強制退去させられ、接収地域はフェンス(金網)で囲まれた。フェンス付近には、上に英語・下に日本語の警告板があり、「許可なき者の立ち入りを禁ず」「許可なくして立ち入った者の生命・身体の安全は保障しない」と表示されていた。厚木基地管轄の憲兵隊(日本人警備員)が警備に当たっていた。 フェンス内は在日アメリカ海軍の住宅街『ベイサイド・コート』(米軍住宅、正式名称:米軍横浜海浜住宅地区 (Yokohama Beach Dependent Housing - Area))などの施設となり、「米軍ハウス」あるいは単に「ハウス」などともいわれ、日本におけるジャズなどのアメリカ文化の発信地でもあった。現在の本牧バス通りの海側をエリア1、山側をエリア2と称した。山手警察署の向かい側には、大きな駐車場を備えたPXやボーリング場などの商業施設(現・本牧宮原6)、ガソリンスタンド(現・本牧宮原7)があり、通りから丸見えであった。 当地域は1982年に返還された。まっさらの広い土地はエリア分けされ、住宅地(戸建て住宅、公団住宅、マンション)、ショッピングセンター(マイカル本牧)、飲食店、公園などになった。
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