米軍機の撃墜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:11 UTC 版)
そしてこの日の昼頃、キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ空軍のU-2がソ連軍のS-75(SA-2ガイドライン)地対空ミサイルで撃墜され、操縦していたルドルフ・アンダーソン少佐が死亡する事件が起こった。実は23日の会議で、もし偵察飛行中に米軍機が撃墜されるような事態が生じた場合は、SAM(地対空ミサイル)基地に1回だけ報復攻撃を加え、その後も相手が攻撃を加えて来た場合は全面的に叩き潰す方針を決定していた。従ってこれに対する行動はエクスコムのほぼ全員がSAM基地の破壊で一致した。 しかしケネディはこの決定を引き戻し、キューバに対する攻撃は、ベルリンやアメリカのジュピター・ミサイルが配置されているトルコに対するソ連の攻撃を誘発しかねないとしてきわめて慎重な姿勢を示し、すぐに反撃ではなく1日待つこととした。しかし参謀本部は一気に態度を硬化して即時空爆を主張、10月30日の時点で大規模空爆を仕掛け、即侵攻部隊を送るべきとの意見が強まった。事態の緊張がさらに進み、危機が制御不能な段階までエスカレートしてしまった時の重大な結末をケネディは恐れていた。
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