箭括氏と夜刀神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 14:29 UTC 版)
説話の前半は、土着の氏族である箭括氏の首長と思われる麻多智が夜刀神に呪術宗教的な戦いを挑み、それを駆逐することで葦の蔓延る渓谷の原野を切り拓いて新田を造営するという、箭括氏を中心とする氏族共同体の起源を述べ、それとともに首長である麻多智とその子孫が「神の祝」として夜刀神の祭祀を司るようになったという夜刀神の社の縁起譚ともなっている。夜刀神の「夜刀(やつ・やと)」は関東地方の方言である「谷(やつ)」を意味し、文字通り谷や葦原などの人による開拓以前の野生状態の自然を可視化したもの、自然の持つ霊威を形象化したものであり、箭括氏による原野開拓の過程を物語るものであるとするのが従来の解釈で、箭括氏という氏族の存在は確認できないものの、物部氏の同族で矢の製作に関わる集団と見られている。また、行方郡の郡家は現茨城県行方市行方に存したとされるので、説話の舞台とされるのは市内の玉造・麻生地区とされ、夜刀神の社は行方市玉造甲の愛宕神社がこれに擬されている。
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