管弦楽のための協奏曲 (バルトーク)
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管弦楽のための協奏曲(かんげんがくのためのきょうそうきょく)は、バルトーク・ベーラが1943年に作曲した5つの楽章からなる管弦楽曲である。バルトークの晩年の代表作であり、最高傑作のひとつにも数えられる。
- ^ 全音楽譜出版社のスコア(スコア制作:渡辺純一)は改訂版結尾でスコアを作成しており、目安時間を9分5秒としている。
- ^ 夫人のディッタ・パーストリは「どんな状況でも作曲はしない」とバルトークが述べていたことを回想している。
- ^ 本作品の批判校訂版スコア(ヘンレ社より出版)の編者である米アマースト大学のクララ・モーリツ教授によれば、浮かんだアイディアを記録するなどして複数の構想を練っていた形跡があり、クーセヴィツキーには当初、カンタータの提案をしたということもわかっている。
- ^ 白血病。ただしバルトークには最後まで知らされず、この時点では結核の可能性があると説明された。
- ^ 彼は1928年に『ピアノ協奏曲第1番』を作曲者本人と共演したりするなど、バルトークを個人的にも知っていた。
- ^ 半分が依頼料、半分はスコアを提出したら支払うという約束だった。
- ^ バルトークにブダペスト音楽院でピアノを学び、アメリカに1924年に移住してピアニストとして活動していたエルネー・バログ(1897-1989)の尽力で、正式な会員ではないバルトークの入院費用などを負担していた。
- ^ 一般的に郊外と紹介されるが、ニューヨーク市からは400キロ離れている。標高500メートル程度で結核の外気療法の先駆地として有名だった。
- ^ バルトークは総譜に「1943年8月15日より10月8日」と印刷させているが、入院中から作曲の作業を始めていたのか、サラナックに行くまで手がついていなかったのかについては、はっきりしていない。
- ^ 小澤征爾指揮ボストン交響楽団、RCAレコード1962年発売
- ^ この曲を得意としていた指揮者ゲオルク・ショルティは映像ソフトの中で、第3楽章の一部分を例に「(ヴァイオリンパートに)パガニーニとかクライスラー並の腕前を想定している」と冗談交じりに技術的な難しさを表現している。
- ^ メリー・ウィドウの旋律との関連性を意識していたかははっきりしていないが、アンタル・ドラティはバルトーク本人が「ショスタコーヴィチを引用した」と明言したと証言している。
- ^ バルトークがハンガリーで採集した「豚使いの角笛」の旋律や『青ひげ公の城』の「第七の扉」との類似が指摘されている。シャーンドル・ジェルジは、この旋律がラファエル・エルナンデス『エル・クンバンチェロ』(1943年発表)に由来するもので、バルトークのユーモアの表れだと語っている。焦元溥(森岡葉訳)『音符ではなく、音楽を! 現代の世界的ピアニストたちとの対話』(アルファベータブックス、2015)p.84。
- 1 管弦楽のための協奏曲 (バルトーク)とは
- 2 管弦楽のための協奏曲 (バルトーク)の概要
- 3 概説
- 4 曲の構成
- 5 楽器編成
「管弦楽のための協奏曲 (バルトーク)」の例文・使い方・用例・文例
- 管弦楽のための協奏曲という,合奏協奏曲の様式による協奏曲
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