第74軍撃滅戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 10:17 UTC 版)
9月21日朝、第11軍司令部に、中国軍第74軍(軍長:王耀武。第51、第57、第58師)が西方へ移動を開始した、という情報がもたらされた。第74軍は中央直系の最精鋭軍として注目されており、2月に攻撃軍・突撃師に指定されてからは中央の認可がなければ作戦での使用を禁じられている部隊であった。第11軍とはこれまで数次にわたり戦闘を交えており、3月の錦江作戦以来、万載、宜春(長沙の東方約100キロ)付近で整訓中であった。この第74軍の出現は、長沙へ向かう日本軍の作戦構想にも影響を与え、阿南軍司令官は第74軍の撃破に執念を燃やした。 9月26日、第3師団の先遣隊が春華山付近へ進出すると、前面の中国軍から予想外の抵抗を受けて不期遭遇戦に突入した。中国軍は続々と兵力を増加させて猛烈に抵抗したが、日本軍は突撃を反復して春華山陣地を占領した。また、永安(長沙の東側20キロ)付近でも続々進出中の中国軍と戦闘が発生、第3師団はこれらの錯綜した戦闘の中で情報を統合し、ようやく第74軍の主力(第57師、第58師)が戦場へ現れたことを知った。第74軍は夜間行軍を行っていたため、日本軍は航空偵察でその位置をつかめず不期に遭遇する結果となったのである。夜からは永安南方の高地一帯を巡って熾烈な手榴弾戦、白兵戦が繰り返され、第3師団は翌日昼にようやく同地を確保したがその損害も少なくなかった。27日、戦場へ到着したばかりの第51師も第6師団から急襲を受け、大損害を被った第74軍は東方へ敗走した。
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