第5期黄金時代(ビリー・マーチン監督)
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「ニューヨーク・ヤンキース」の記事における「第5期黄金時代(ビリー・マーチン監督)」の解説
1970年代に入るとジョージ・スタインブレナーらが1973年1月3日にCBSから1000万ドルで球団を買収。老朽化したヤンキー・スタジアムの全面改装に乗り出したのと同時にチームの大がかりな再建に着手した。内野手でグレイグ・ネトルズ、クリス・チャンプリス、外野手でルー・ピネラ、ミッキー・リバースを他球団から補強し、1975年にはシーズン途中でかつてのヤンキース5連覇当時の2塁手だったビリー・マーチンを新監督に迎え、さらにアスレチックスからキャットフィッシュ・ハンター投手を獲得して、翌1976年に新装なったヤンキー・スタジアムでヤンキース生え抜きのサーマン・マンソン捕手の活躍もあって12年ぶりにリーグ優勝し、ワールドシリーズではスパーキー・アンダーソン監督のシンシナチ・レッズに敗れたが、この年はヤンキース復活の年となった。 そしてシーズンオフにフリー・エージェントでボルチモア・オリオールズからスター選手のレジー・ジャクソンを獲得した。そしてジャクソンは1977年に打線の主軸として活躍して再びリーグ優勝し、ワールドシリーズでは宿敵ロサンゼルス・ドジャーズと対戦して第6戦で3打席連続本塁打(全て初球)を含む本塁打5本の活躍で1962年以来15年ぶりにワールドチャンピオンとなった。翌年1978年も同じ顔合わせでのワールドシリーズとなったが、4勝2敗で下し、シリーズ2連覇を果たした。 オーナーのスタインブレナーとマーチン監督の関係は愛憎入り混じって複雑なものがあり、その後解雇と雇用を何度も繰り返した。しかし複数回の解任→就任も、チーム成績の浮沈に関わらないところが大きい。またマーチンとジャクソンが反目しあい、喧嘩も日常茶飯事という状況で地元マスコミはこれを「ブロンクス・ズー(まるでベンチは動物園のようだ)」と報じて、マーチンとスタインブレナーの確執と同じに、当時のチーム状況を特徴付けるものであった。
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