第31駆逐隊編制まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:06 UTC 版)
「長波 (駆逐艦)」の記事における「第31駆逐隊編制まで」の解説
1939年度(④計画)仮称第119号艦として、藤永田造船所で建造。1941年(昭和16年)12月17日、長波(ながなみ)と命名される。夕雲型駆逐艦に類別された。1942年(昭和17年)6月30日、竣工。舞鶴鎮守府籍となる。 竣工と同時に、長波は警備駆逐艦に定められた。横須賀鎮守府海面防備部隊直率部隊に編入されて横須賀に回航された後、相模湾方面での哨戒に従事した。7月5日、キスカ島に停泊していた第二水雷戦隊第18駆逐隊は米潜水艦の攻撃をうけ、駆逐艦霰が沈没し、不知火と霞は船体切断に追い込まれた(7月5日の海戦)。7月17日、大海指第114号により長波はキスカ島に不知火と霞救援用の物資と人員を運ぶことになった。7月20日に長波は横須賀を出発して27日キスカ島に到着。工員3名などを送り届けた長波は翌日輸送船白山丸を護衛して帰路につき、8月4日横須賀に帰投した。
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