第101飛行隊 (航空自衛隊)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 第101飛行隊 (航空自衛隊)の意味・解説 

第101飛行隊 (航空自衛隊)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/19 09:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
第101飛行隊
第101飛行隊のF-86D(展示機)
創設 1958年8月1日
廃止 1968年10月1日
所属政体 日本
所属組織 航空自衛隊
所在地 愛知県小牧基地
編成地 岐阜県岐阜基地
通称号/略称 101SQ
上級単位 第3航空団
最終上級単位 中部航空方面隊
テンプレートを表示

第101飛行隊(だい101ひこうたい、JASDF 101st Fighter Interceptor Squadron)は、かつて航空自衛隊中部航空方面隊第3航空団隷下だった戦闘機部隊小牧基地に所属し、航空自衛隊初のF-86D全天候戦闘機装備飛行隊だった。

概要

1958年(昭和33年)8月1日、航空自衛隊最初のF-86D飛行隊(マザースコードロン)として岐阜基地第3航空団隷下にて発足、1959年(昭和34年)には小牧基地へ移動した。1960年(昭和35年)から運用機種であるF-86Dの機種転換操縦課程(操縦者教育)を任務とする転換訓練飛行隊として活動を開始し、6月6日には2名の第1期生が入った。1967年(昭和42年)から要撃戦闘飛行隊に改編され、アラート任務を遂行した[1]

1962年(昭和37年)以降、各基地へF-104J戦闘機の配備が開始されたこともあり、千歳基地第2航空団第103飛行隊とともに1968年(昭和43年)10月1日に閉隊された[1]

第101飛行隊の部隊マークは当初、第3航空団を示す赤帯3本の上に黄色のシャチホコのデザインだったが、後に赤いシャチホコの下に緑帯を引いたデザインに変更された[1]

沿革

歴代運用機

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g イカロス出版 JWing No.121 2008年9月号 52頁 「集まれ!日本の戦闘機部隊 航空自衛隊、過去の戦闘機部隊」
  2. ^ イカロス出版 JWing No.184 2013年12月号 21頁 「戦競2013 戦競、偉大なるその軌跡」松崎豊一
  3. ^ 大日本絵画 月刊モデルグラフィックス2月号別冊 戦競1988 航空自衛隊昭和63年度航空総隊戦技競技会 68頁-70頁 「戦競史 航空総隊戦技競技会28年の歩み」

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第101飛行隊 (航空自衛隊)」の関連用語

第101飛行隊 (航空自衛隊)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第101飛行隊 (航空自衛隊)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第101飛行隊 (航空自衛隊) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS