第1期名人位
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1952年頃より日本棋院理事を務め、1960年には渉外担当理事となる。日本棋院の財政基盤改善策として名人戦創設を図る。読売新聞との契約をまとめ、1961年から第1期旧名人戦が開始、最高位タイトルを持っていた秀行も13人のリーグ戦に参加する。翌年8月の最終局まで9勝2敗のトップを走っていたが、最終局で橋本昌二に敗れて9勝3敗となり、呉清源 - 坂田栄男戦の勝者とプレーオフとなると思われた。しかし呉-坂田戦は呉の白番ジゴ勝ち(コミ5目で)となり、当時の規定でジゴ勝ちは正規の勝ちより下位とされていたため、藤沢の第1期名人位が決まった。 「名人戦#旧名人戦の創設」および「第1期名人戦(旧) (囲碁)」も参照
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