第1ベルリン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:01 UTC 版)
「パウル・ゲルハルト」の記事における「第1ベルリン時代」の解説
1643年、ゲルハルトはヴィッテンベルク大学での学びを終え、ベルリンへ向かった。当時のベルリンは30年戦争とペスト、天然痘と赤痢によって人口を半分以上減らしていた(戦争前1万2千人が終戦時5千人になった)。ベルリンにおいてゲルハルトはベルリン上級地方裁判所吏員のアンドレアス・ベルトホルト家において家庭教師の職を得た。家主の娘との結婚式に際して、ゲルハルトは頌歌の詞を作った。戦争体験は作詞におけるモティーフになり、さらにゲルハルトは神学的主題を歌詞に加えた。同時に彼は同時代に生きる人々に新しい勇気と希望を与えた。1657年から1667年まで牧師としてベルリン・ニコライ教会に奉職していた時、霊的な癒しによって職責を果たした。ニコライ教会には1622年以来ヨハン・クリューガーがカントールとして働いており、1640年に最初の賛美歌集Praxis pietatis melica, 『歌による敬虔の修練』を出版していた。このニコライ教会でゲルハルトとヨハン・クリューガーは協同作業を始めた。1647年にクリューガーは自身の賛美歌集を新たに出版した。ゲルハルトもこの新しい賛美歌集に18篇の歌詞を提供している。この賛美歌集は好評で、1653年には53版になった。さらに、ゲルハルトは当時のルター派福音主義教会のベルリン地区長ペトルス・フェアーと親交を結んだ。
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