第一次世界大戦とトルコ革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 18:57 UTC 版)
「トルコ・クルド紛争」の記事における「第一次世界大戦とトルコ革命」の解説
1914年より第一次世界大戦が始まり、1918年10月30日にムドロス休戦協定が結ばれる。既に1918年からトルコ革命へとつながる祖国解放運動が始まっており、クルド人もナショナリズムを掲げた組織を作っている。この頃の組織には年配のナショナリスト、都市中産階級の若者、部族長といった3要素が見られ、この取り合わせは現代のクルド人ナショナリズムにも見られる。青年トルコとともに世俗的な教育を受けたものも多く参加し、クルマンジー語話者・クルド人が多かったが後にはアレヴィー派・クルド、ザザ語話者・クルド人(ザザ人)もひきつけた。 1920年8月にはオスマン帝国は連合国との間でセーブル条約を締結する。このセーブル条約ではクルド人の自治が認められていた。あるいはクルドが望めば独立クルディスタンもありえたが、部族対立や、都市のエリートと東部の指導者たちとの隔たりがから統一クルディスタンという考え方にはあまり前向きではなかったようである。しかし1922年半ば頃までにはケマル・アタテュルクはアナトリアから占領軍を駆逐しており、1923年にローザンヌ条約がケマル・アタテュルクのアンカラ政府(現代のトルコ共和国)により締結された。その結果セーブル条約は反故にされ、クルディスタンはトルコ、イラン、イラク、シリアの4カ国と、後のUSSRの間で5分割されてしまう。
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