第一次エジプト・トルコ戦争
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「エジプト・トルコ戦争」の記事における「第一次エジプト・トルコ戦争」の解説
詳細は「第一次エジプト・トルコ戦争(~1833年)(英語版)」を参照 ギリシア独立戦争が終結した頃、エジプト太守のムハンマド・アリーがギリシア独立戦争の際の出兵支援の代償としてシリア領有権を宗主国であるオスマン帝国に要求し侵攻、シリアを占領した。近代的でよく訓練されていたエジプト軍は、オスマン帝国軍を圧倒し、オスマン帝国全域を制圧するかに見えた。この事態に際して、オスマン帝国を従属させる政策をとっていたロシアは、オスマン帝国を支援したが、ロシア勢力の地中海への拡大を警戒したイギリス・フランス・オーストリアがオスマン帝国に干渉し、翌年、エジプト=オスマン帝国を和解させた (キュタヒヤ条約)。この戦争でムハンマド=アリーはエジプト・シリアの終身統治権を獲得した。一方でロシア帝国はオスマン帝国を支援した代償に1833年に両国間にウンキャル・スケレッシ条約が結ばれ、 ロシアはオスマン帝国を外敵から保護する ロシアが交戦中の場合、オスマン帝国はダーダネルス海峡において全軍艦の通航を封鎖する ことが締結された。
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