第一期生について
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1900年(明治33年)の開学時、京都法政学校への志願者数は360名だった。このうち305名(法律科:225名、政治科:80名)を第一期生として受け入れたが、入学から三年後、実際に卒業できたのは57名(法律科:47名、政治科:10名)のみであった。卒業生57名のうち20歳から25歳が過半数。20歳未満は約2割。26歳以上が3割弱。最年長者は41歳だったと記録されている。 第一期生卒業式は1903年(明治36年)7月12日に講堂にて執り行われ、来賓として京都帝国大学教授・助教授のほか、第三高等学校長、京都地方裁判所所長、京都弁護士会会長代表、京都府議会副議長、地元選出代議士、京都府庁参事官、視学官など多数が参加し、一私学としてはかなり盛大なものとなった。卒業式当日、東京にあって入洛できない校長の富井政章に代わり、教頭の井上密が卒業証書の授与を行い、来賓代表の木下廣次(京都帝国大学総長)が祝辞を述べた。翌日には、浅田賢介教授、井上密教授、岡松参太郎教授、織田萬教授、島文次郎教授、田島錦治教授、仁井田益太郎教授らが参加して謝恩会が開催され、知恩院桜門前で卒業記念撮影会が開かれた。
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