第一の会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 21:31 UTC 版)
「デンマーク東インド会社」の記事における「第一の会社」の解説
最初のデンマーク東インド会社は1616年にクリスチャン4世治下に設立され、インドとの貿易を目的とした。ギデ提督指揮下での最初の遠征艦隊は、セイロン島に到着するのに2年かかり、乗組員の半分以上を失った。1620年5月10日に彼らが到着した時には島の大部分はポルトガルに支配されていたが、キャンディ王国と条約が締結され、島の東海岸のトリンコマリーに最初の植民地が設立された 。彼らはキャンディ王国の助けを得て砦を建設した 。 その後、1620年11月19日にインド本土のタンジャーヴール・ナーヤカ朝の統治者であるラグナタ・ナヤクとの間で条約が締結され、トランケバルの町で土地と貿易許可を得た。その町にダンスボー砦を建設し、デンマーク領インドの最初の知事(opperhoved)として、船長のローランド・クラッペを置いた。条約は1621年7月30日に更新され、さらに、1676年5月10日にはマラーター王国の創始者シヴァージーによって再確認された。 全盛期においては、デンマーク東インド会社とスウェーデン東インド会社は、イギリス東インド会社よりも大量の茶を輸入し、その90%をイングランドに密輸して巨利を得ていた。1624年から1636年の間にデンマークの貿易先は拡大し、西はスーラト、東はベンガル、ジャワ、およびボルネオ島に及んでいた。商館はマチリーパトナム、スーラト、バーレーシュワルとジャワに置かれていた。しかしヨーロッパの戦争(三十年戦争)にデンマークが参加したことで会社は破滅した。インドとの貿易は1643年から1669年の間、完全に停止した。デンマークからの船が1669年にトランケバルに到着して連絡を回復したが、その時までにトランケバル以外の拠点はすべて失われていた。
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