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竹上常三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/18 14:35 UTC 版)

竹上 常三郎
生誕 1872年12月9日
日本 茨城県
死没 没年不詳
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1894年 - 1928年
最終階級 陸軍中将
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竹上 常三郎(たけがみ つねさぶろう、1872年12月9日明治5年11月9日[1]〉- 没年不詳[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。旧姓・大橋[3][4]

経歴

茨城県[2][3]、後の古河町(現古河市[5]出身。大橋力蔵の二男として生まれ、竹上寅吉の養子となり家督を相続した[3][4]

1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業し、同年9月、陸軍歩兵少尉に任官[1][2][4]1897年(明治30年)12月、陸軍大学校(14期)に入学し、1900年(明治33年)12月に卒業して士官学校に配属された[2][3][6]日露戦争では第7師団参謀として出征した[1]

以後、第17師団参謀などを経て、1914年(大正3年)8月、歩兵大佐に進み陸軍省人事局補任課長に就任[2][3][4]歩兵第51連隊長、参謀本部庶務課長を経て、1918年(大正7年)8月、陸軍少将に昇進し陸大幹事となる[1][2][3][4]

陸軍省人事局長を経て、 1923年(大正12年)8月、陸軍中将に進み旅順要塞司令官に就任[1][2]1924年(大正13年)2月、第19師団長に転じ、さらに1926年(大正15年)7月、第12師団長に転じた[1][2][3][4][7]1928年(昭和3年)3月、待命となり、同年同月予備役に編入された[1][2][3][4]1939年(昭和14年)4月1日に退役した[8]

戦後、1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受け[9]1952年(昭和27年)3月4日に解除された[10]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』435頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』114頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『茨城県史』283頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 昭和15年改訂13版』477頁。
  5. ^ 『いはらき年鑑 昭和4年』いはらき新聞社、1930年、718頁。
  6. ^ 『日本陸海軍総合事典 第2版』551頁。
  7. ^ 『日本陸海軍総合事典 第2版』374-375頁。
  8. ^ 『官報』第3714号、昭和14年5月26日。
  9. ^ 『官報』号外「資格審査(仮指定)結果報告」昭和22年11月28日、85頁。
  10. ^ 『官報』号外第16号「公職資格訴願審査結果公告第4号」昭和27年3月4日、2頁。

参考文献

  • 茨城県史研究会編『茨城県史』茨城県史刊行会、1930年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 昭和15年改訂13版』帝国秘密探偵社ほか、1940年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。



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