竜雲配下としての台頭
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1911年(宣統3年)、竜雲とともに四川省で滇軍に加入する。1912年(民国元年)に雲南省へ戻ると雲南陸軍講武学校に入学した。1914年(民国3年)に雲南陸軍講武堂第4期歩兵科を卒業。以後、竜に従う形で、滇軍内で昇進していく。1927年(民国16年)には、竜率いる第5軍の第7旅旅長となっている。 同年2月、滇軍軍長の竜雲・胡若愚らが雲南の統治者唐継尭を兵変で倒した(「2・6政変」)。その後、主導権争いから、6月に胡が竜を急襲、拘禁してしまう(「6・14政変」)。盧漢は辛うじて昆明を脱出すると、竜派部隊を糾合して、胡から竜を奪還する。そして、竜とともに胡ら反竜雲勢力をすべて撃破し、竜の雲南統治を確立した。 同年8月に竜雲が国民政府から国民革命軍第38軍軍長に任命されると、盧漢は第38軍第98師師長に任命された。盧は、省の近代化建設を支持、推進する立場にあった。例えば1929年(民国18年)末には、盧は雲南省財政庁長を兼任し、省財政改革を断行して、これを成功させた。 1930年(民国19年)5月、盧漢は竜雲の命令により、広西省へ滇軍を率いて進攻した。しかし省会(省都)南寧を攻略できず、新広西派の反撃も受けたため撤退した。翌年3月、盧漢ら竜雲配下の4師長は竜雲に対して兵変を起こしたが(「3・10政変」)、失敗に終わる。盧漢らは師長から罷免された。
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