竜雲配下としての台頭とは? わかりやすく解説

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竜雲配下としての台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 21:33 UTC 版)

盧漢」の記事における「竜雲配下としての台頭」の解説

1911年宣統3年)、竜雲とともに四川省で滇軍に加入する1912年民国元年)に雲南省へ戻ると雲南陸軍講武学校入学した1914年民国3年)に雲南陸軍講武堂第4期歩兵科卒業以後、竜に従う形で、滇軍内で昇進していく。1927年民国16年)には、竜率い第5軍の第7旅旅長となっている。 同年2月、滇軍軍長竜雲胡若愚らが雲南統治者唐継尭を兵変で倒した(「2・6政変」)。その後主導権争いから、6月に胡が竜を急襲拘禁してしまう(「6・14政変」)。盧漢辛うじて昆明脱出すると、竜派部隊糾合して、胡から竜を奪還する。そして、竜とともに胡ら反竜雲勢力をすべて撃破し、竜の雲南統治確立した同年8月竜雲国民政府から国民革命軍38軍長任命されると、盧漢は第38軍第98師長任命された。盧は、省の近代化建設支持推進する立場にあった例え1929年民国18年)末には、盧は雲南省財政庁長兼任し、省財政改革断行して、これを成功させた。 1930年民国19年5月盧漢竜雲命令により、広西省へ滇軍を率いて進攻した。しかし省会省都南寧攻略できず、新広西派反撃受けたため撤退した翌年3月盧漢竜雲配下の4師長竜雲に対して兵変を起こしたが(「3・10政変」)、失敗に終わる。盧漢らは師長から罷免された。

※この「竜雲配下としての台頭」の解説は、「盧漢」の解説の一部です。
「竜雲配下としての台頭」を含む「盧漢」の記事については、「盧漢」の概要を参照ください。

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