竜山徳見とは? わかりやすく解説

龍山徳見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 05:01 UTC 版)

龍山徳見(りゅうさんとくけん、弘安7年(1284年)- 延文3年/正平13年11月13日1358年12月14日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。俗姓は千葉氏は初め利見と称したが、のちに徳見と称した。道号は龍山。下総国の出身。諡号は真源大照禅師。建仁寺塔頭両足院の祖として知られている。

略歴

弘安7年(1284年)11月23日、下総国香取郡に、千葉氏の一族として生まれた。香取郡に龍山があったから、後に自ら取って道号とした。

永仁3年(1295年)、12歳のとき、仏道入門を志して郷里を出ると鎌倉寿福寺に至り、栄西禅師の法曾孫に当る寂庵上昭を拝して、弟子となった。そして17歳の時得度した。その頃中国からの来朝僧、一山一寧は鎌倉円覚寺で雲水を摂化していたので、徳見はその会下にあって参禅し、中国の新知識を吸収したのである。

その後、入元(元に留学)の志のあることを寂庵に打明けたところ、寂庵はこれを許した。嘉元3年(1305年)、徳見は22歳[1]で遂に寂庵上昭の印可を受け、商船に託して渡海し四明に達したのである[2]

当時の中国は北方から襲来した蒙古民族に征服され、元朝となっていた(南宋の滅亡と元による天下統一は1279年)。しかも弘安4年(1281年)には蒙古が日本に遠征したのである(弘安の役)。そして元兵が弘安の役で惨敗を喫したことから、日本人に対する感情は大変厳しいものであった。

そんななか龍山徳見は、偶々富豪の庭園で守衛に捕縛された時、その富豪が徳見を召して元入国の目的を尋ねた。徳見は筆談で、天童山の東巖浄日の道風を慕い、生死解脱の道を求めるために元に来たのだと答えたことから、運よく天童山の東巖浄日を尋ねることとなった。東巖は徳見の求道心の篤いのを喜び、諱の利見を徳見と改め、禅堂の一員に加えた

そして徳治2年(1307年)、天童山で巡検使に一時捕えられ、洛陽白馬寺に護送されたが、その後暫くして天童山に帰った。既に東巖浄日の示寂しており、同山を継席した竺西懐坦の室に入って侍香の職についた。その後は天童山を辞し、諸方を歴訪した。正中2年(1325年)、入元した中巌円月はこの頃龍山徳見に提撕を受けている。また仏通寺開山となった愚中周及も入元中に龍山徳見から教示を受けていたという。[3]

元徳元年(1329年)、豊後の大友氏、入元中の龍山徳見を同州の万寿寺に拝請したが、龍山徳見は固辞した。[4]

また黄龍慧南から明菴栄西にいたる臨済宗の法流を受けて兜率寺で長く住持を務め、長期間元に滞在して貞和5年/正平4年(1349年)に帰国している(66歳)[1]。帰国後9年目で示寂したため、その法は天祥一麟・無等以倫などに受け継がれたほか、嗣法こそしなかったものの義堂周信絶海中津など著名な僧もその門下で学んでいる。中世五山文化を築いた一人といえよう[5]足利尊氏の弟足利直義の招きを受けて、観応元年/正平5年(1350年)には京都建仁寺の住持となり、その後文和3年/正平9年(1354年)には南禅寺の住持となり、延文2年/正平12年(1357年)の秋には天龍寺にも住した[4]

林家と両足院

徳見の帰国には禅僧に加えて船主その他の元国の人が同乗し、そのまま留まった一行には林浄因(りんじょういん)という人物があった。林家は仏教に篤く、両足院の住持に#無等以倫から梅仙東通を経て江戸初期まで、徳見の法を継ぐ林家出身の僧が住持を勤めている。

浄円はのちに帰化して現在の奈良市林小路町に住み[6]、林家はやがて塩瀬に改姓する。この浄円は五山に集う文化人と交流し、小豆餡(あずきあん)を種とする[注釈 1]饅頭を供したと伝わり、やがて饅頭を商う林家の祖となる[注釈 2]

参考文献

主な執筆者名の50音順

  • 伊藤東愼「狂歌師雄長老と若狹の五山禪僧」『黄龍遺韻』第3号、両足院、1971年10月10日。 龍山徳見禅師600年遠忌記念誌『黄龍遺韻』伊藤東愼は22代両足院住職。
  • 五十嵐金三郎「両足院(建仁寺派)の収蔵資料について」(pdf)『参考書誌研究』第13号、国立国会図書館、1976年8月31日、22頁 (コマ番号0107.jp2、doi:10.11501/3051009 国立国会図書館デジタルコレクション。
  • 榎本渉『季刊 禅文化』256(2020年春号)、禅文化研究所、2020年4月、31頁。 

脚注

注釈

  1. ^ 小麦粉の皮で甘く味付けした煮小豆を包んで蒸したことは、後世1684年に黒川道祐が記した『雍州府志』巻六「土産門・上」(貞享元年[7])の〈饅頭〉の項[8][6]にある。
  2. ^ 『園太暦』観応元年四月十四日参照[1]

出典

  1. ^ a b c 五十嵐 1976, p. 22.
  2. ^ 伊藤 1999, pp. 8–9.
  3. ^ 伊藤 1999, p. 10-11.
  4. ^ a b 『黄龍遺韻』伊藤東愼著 両足院発行 1957年11月 非売品 附録年表 113p-120p
  5. ^ 榎本 2020, p. 31.
  6. ^ a b 2 菓子の文化史§奈良饅頭”. www.nara-wu.ac.jp. 奈良女子大学大学院文化史総合演習 成果報告—国際社会文化学専攻「女性の高度な職業能力を開発する実践的教育」(組織的な大学院教育改革推進プログラム). 奈良女子大学大学院 人間文化研究科(博士前期課程) (2011年3月). 2021年8月24日閲覧。
  7. ^ 黒川道祐『雍州府志』1684年https://iss.ndl.go.jp/books/R100000094-I000045808-00 西尾市岩瀬文庫所蔵
  8. ^ 3 実践報告§ 中世の奈良饅頭を再現する”. www.nara-wu.ac.jp. 奈良女子大学大学院文化史総合演習 成果報告—国際社会文化学専攻「女性の高度な職業能力を開発する実践的教育」(組織的な大学院教育改革推進プログラム). 奈良女子大学大学院 人間文化研究科(博士前期課程) (2011年3月). 2021年8月24日閲覧。

関連項目

関連資料

発行年順

  • 「142 真源大照禅師行状竜山徳見(中巌円月)」『群書解題』第4巻下、続群書類従完成会(編)、1967年、154頁。doi:10.11501/2941560、国立国会図書館デジタルコレクション、国立国会図書館内公開。〈系譜部〉第4、〈伝部〉第2。
    • 1986年改版。「142 真源大照禅師行状竜山徳見(中巌円月)」『群書解題』第2巻 (消息部・文筆部・伝部)、続群書類従完成会(編)、307-310頁。全国書誌番号:87048788
  • 玉村竹二(編)「龍山德見集」『五山文学新集』第3巻、東京大学出版会、1969年、191頁 (コマ番号0112.jp2)。 ISBN 4130860135NCID BN01419799doi:10.11501/1674638、国立国会図書館デジタルコレクション、国立国会図書館内公開。
  • 海老名雄二、平野元三郎「五十田図三回 §入元僧―龍山徳見」『千葉今昔物語 : 新房総歳事記』NHK千葉放送局(編)、多田屋、1974年、国立国会図書館デジタルコレクション、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  • 「第2部II 第6章第3節 東氏と五山文学 §竜山徳見」『大和村史 通史編』上巻、岐阜県大和村教育委員会(編)、1984年、498頁–。全国書誌番号: 22793664
  • 河村 晃太郎「二人の入元僧--龍山徳見と雪村友梅」『アジア文化交流研究』第1号、関西大学アジア文化交流研究センター(編)、2006年3月、185-198頁。 ISSN 1881-350X
  • 『両足院 : その歴史と文化財 : 御開山龍山徳見禅師六百五十年遠忌記念』両足院、2007年。 NCID BA83765348
  • 栄西「頂相賛(龍山徳見)」『栄西禅師集』藤田琢司(編)、京都 : 禅文化研究所、2014年。441頁。全国書誌番号: 22528071
  • 田山方南「東巌浄日の墨蹟--虚堂の虎丘十詠諸跋〔本誌35号(昭46.12)掲載〕補遺として」『古美術』第38号、三彩社(編)、1972年9月、64-67頁。ISSN 0454-112X。

龍山徳見

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延文3年/正平13年11月13日1358年12月14日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。俗姓千葉氏。諱は初め利見と称したが、のちに徳見と称した道号龍山下総国出身諡号は真源大照禅師建仁寺塔頭両足院の祖として知られている。

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