空襲による当駅付近の被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 15:06 UTC 版)
「美章園駅」の記事における「空襲による当駅付近の被害」の解説
1945年(昭和20年)2月14日午後8時過ぎ、アメリカ軍による空襲で、B29が阿倍野区内だけに3発の爆弾を投下した。そのうち1トン爆弾1発が当駅構内に落下し阪和線の鉄筋コンクリート橋脚を粉砕、付近の民家20件ほどを破壊し死傷者30余名を出した。運悪く東和歌山方面行きの電車が発車した直後でホームに多くの人がいたため、多くの死者が出た。1951年(昭和26年)8月24日、駅東側に当時の駅職員によって「遭難供養之碑」が建てられた。 この時に明浄高等女学校(現・明浄学院高校)裏にも爆弾が落下し、同校生も犠牲になった。近くの文の里公園に「慰霊塔」がある。それには大阪市最初の被爆地と書かれているが、実際には2月14日より前から大阪市内に空襲が行われている。 大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、他に1945年8月14日の京橋駅空襲で被害を受けた京橋駅(大阪環状線・片町線)がある。
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