空襲の略表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 23:37 UTC 版)
1945年(昭和20年)3月18日 - 郡元町にあった大日本帝国海軍鹿児島海軍航空隊が爆撃される。死者6人、負傷者59人。 4月8日 - 田上町、下荒田町、平之町、加治屋町、東千石町、新照院町が大型爆弾で爆撃される。死者587人、負傷者424人。 4月21日 - 長田町、山下町、東千石町、山之口町、樋之口町、平之町、新屋敷町が爆撃される。 5月12日 - 鹿児島港付近が爆撃される(夜間空襲)。 6月17日 - 鹿児島市内一円が焼夷弾により爆撃される(夜間空襲)。死者2,316人、負傷者3,500人となり鹿児島市に対する空襲では最大の被害となる。この空襲の直後に行われた調査によると鹿児島市の人口が93,032人まで減少した。 7月27日 - 鹿児島駅周辺の車町、恵美須町、柳町、和泉屋町が爆撃される。死者420人、負傷者650人。鹿児島駅の列車の発着時間に爆撃が行われ、多くの犠牲者が出た。 7月31日 - 清水町、池之上町、上竜尾町、下竜尾町が爆撃される。 8月6日 - 下荒田町、原良町、薬師町が爆撃される。
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