空襲の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 09:59 UTC 版)
1944年11月27日、東京湾岸地域に空襲のついでに浜松を爆撃。 1945年2月15日、54機のB-29が三菱重工業名古屋発動機製作所を空襲したついでに、浜松南部(海老塚地区)に空襲。浜松基地にも空襲。B-29が6機。死者約150名。 1945年4月30日、浜松都市地域を第一目標とした、中心部(軍需工場の多かった寺島・龍禅寺地区)への空襲。B-29が69機。死者約1,000名。 1945年5月19日、東部・西北部に空襲。死者約450名。 1945年6月18日、浜松都市地域を第一目標とした、市街地への空襲(浜松大空襲)。死者約1,800名。 1945年7月29日、戦艦サウスダコタ、マサチューセッツ 、インディアナ 、キング・ジョージ5世等による艦砲射撃。目標は国鉄浜松工機部・浜松駅・日本楽器・東洋紡績など。死者約170名。
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