秋風やひとさし指は誰の墓
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評 言 |
寺山修司の句といえば 十五歳抱かれて花粉吹き散らす 便所より青空見えて啄木忌 かくれんぼ三つかぞえて冬となる 目かくしの背後を冬の斧通る 枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや をあげる向きが多いかもしれないが、私はこの「ひとさし指」の句に魅かれる。 寺山修司は昭和10年(1935)12月10日、青森生まれ。昭和58年(1883)5月4日に亡くなった。掲句は高校時代の句として『花粉航海』(昭和50年)にまとめられたもの。 ひとさし指は母さん指と覚えたのはいつのことだろうか。修司、高校生のそのころ、すでに父は亡く、母は遠い九州の米軍ベースキャンプにあった。この人差し指が指している墓はだれの墓だったのだろうか。作者の人差し指の先には母のはつが重なってくる。 ところで今年の暑さは異常で、地球気候の変化を感じさせられた。一日一日が無事であることの重み、すごさを感じたこの夏だった。この暑さも「暑さ寒さも彼岸まで」と秋の彼岸を過ぎるまでの我慢と、耐え忍ぶ心を古来より伝えられてきたが、秋の風は「色無き風」寂寥の風である。 作者の感覚の世界にある人差し指の先の墓も、感覚でとえられた墓である。ただ一つの実在は自分の身体の一部である人差し指のみである。その現実がありながら虚実の間を自由に出入りする作者が見えてくる。 修司には 亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり など「寺山セツの伝記」という一連の歌がある。この「セツ」は母「はつ」をもじったもの。その母は修司の死後も長く生きた。いうまでもなく修司の句は作者が高校生の句と記してあっても、それを鵜呑みにすることは出来ない。あくまで昭和50年作者40歳のとき以前の句と理解しておく方がいい。寺山修司は寺山修司自身を演じていた。 写真は「写真の駅 藤田真」より |
評 者 |
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備 考 |
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