秋田移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 01:39 UTC 版)
歩兵第17連隊は1898年(明治31年)にそれまで軍隊がなかった秋田に移り、新設の第8師団に属した。仙台の兵営には新設の歩兵第29連隊が入った。 これより先、日清戦争直後の1895年(明治28年)末に、東北地方北部に新師団を設けることを含む軍備拡大計画が決められた。これを知った秋田県では、秋田市と六郷町(現在は美郷町の一部)で連隊の誘致を目指す運動が興った。秋田県知事平山靖彦が秋田を奨めて後押ししたこともあり、1896年(明治29年)6月に陸軍は秋田への設置を決めた。秋田市は誘致運動の一つとして兵営のための敷地を市が買収・献納する願いを出し、県が無償で提供した土地とあわせ、連隊用地は地元で確保された。秋田市を優遇した知事に対して、六郷など仙北地方は強く反発した。8月に県議会で知事に対する不信任決議が可決された。平山はその1か月後に秋田から転任することになった。
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