私権剥奪の対象となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 08:45 UTC 版)
「ウィロビー・ド・アーズビー男爵」の記事における「私権剥奪の対象となる」の解説
詳細は「ウェルズ男爵(英語版)」を参照 7代女男爵ジョアンの夫リチャード・ウェルズ(1428?–1470)は1455年に妻の権利(英語版)に基いて、新規にウィロビー・ド・アーズビー男爵として貴族院より議会招集された。彼はウェルズ男爵家嫡男だったが、父ライオネル(英語版)の死後6年も経った1467年にウェルズ男爵位を継いだ。しかしながら、彼の息子ロバートがエドワード4世に反旗を翻してエンピンガムの戦いを起こしたのち敗れると、父子ともに私権剥奪の対象となり爵位は没収されてしまう。なお、エドワード4世は召し上げた両男爵家の領地を寵臣リチャード・ヘイスティングス(英語版)(?-1503)に下賜している。 時代が少し下ったヘンリー7世の御世になると状況は好転して、1485年頃にウェルズ父子の私権回復がなされた。そのため、7代女男爵ジョアン及びリチャード・ウェルズ夫妻を通してその息子ロバート(?-1470)、娘ジョアン(?-1475)、またいとこクリストファー、その子ウィリアムの順に爵位と領地が法令上は受け継がれたと解される。ただし事実上の爵位継承はリチャード・ヘイスティングス死去時に存命だった10代男爵ウィリアムを待たなければならなかった。また、1455年の議会招集爵位たるウィロビー男爵は既に継承できる者が全員物故となっていたため、あらためて爵位廃絶となった。 10代男爵ウィリアム(1453–1499)には男子がなかったため、彼ののちはその娘キャサリンが爵位を相続している。 11代女男爵キャサリン(1519-1580)は初代サフォーク公爵と結婚したが先立たれたため、リチャード・バーティー(1517?-1582)と再婚している。キャサリンが没すると、バーティ夫妻の長子ペレグリン(英語版)が爵位を相続したことで、男爵位はウェルズ家からバーティー家へと移っている。
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