秀忠の隠し子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 04:45 UTC 版)
秀忠は国内最高の権を持つ江戸幕府の征夷大将軍でありながら一方では恐妻家で、嫉妬深い正室の江(崇源院)には頭が上がらず、側室を持つことも許されなかったと伝わるが、江の目をかいくぐり、大姥局の侍女であった静(のちの浄光院)に手を出し、妊娠させてしまう。これを知った大姥局は静を庇護し、静に対して圧力をかける崇源院の手の者から匿い、無事に出産させた。この際に生まれた子・幸松は大姥局と懇意にしていた見性院(武田信玄次女、穴山梅雪正室)の養子となった。 この幸松はのちに秀忠に内々に認知されたが徳川家中にいることはできず、見性院の縁故から旧武田家臣である高遠藩保科氏の養子となり家督を継ぐなど紆余曲折を経た後、その存在が異母兄である将軍徳川家光の知る所となり、家光により重用され、幕府の重鎮となった。江戸時代初期の史上において名宰相と名高い保科正之(会津松平家家祖)である。
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