福永洋一記念創設
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祐一が2009年8月に高知競馬場で行われたトークショーに出席した際、「生まれ育った高知は父親にとって特別な場所。おやじの名前がタイトルについたレースができたら」と発言し、高知競馬がこの意向を汲む形で2010年より重賞競走「福永洋一記念」を新設した。5月10日に行われた第1回競走当日は、親子が祐一の全日本新人王争覇戦出場時以来14年ぶりに競馬場を訪れ、プレゼンターとして表彰式に出席した。洋一が公の場に姿を見せたのは事故以来31年ぶり、祐一との同席は初めてのことであった。最後に挨拶に立った祐一はファンの歓迎に涙も見せ、開催後には「オヤジが引退してもう30年近くなるのに、たくさんの人が覚えてくれているのがうれしかったです。自分はユタカさん(武豊)の活躍にあこがれて騎手になったつもりでも、自分の中のヒーローはオヤジだったんだって初めて思いました。カッコ良かったです」と語った。なお、勝利騎手の赤岡修次は、洋一が高知時代に通った潮江中学校の後輩にあたる。祐一は、次年度以降も洋一と一緒に高知を訪れたいとの意向を示しており、また高知県競馬組合からは「将来的には福永洋一記念を交流重賞に」との目標が掲げられている。 詳細は「福永洋一記念」を参照
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