福島橋の人柱伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 13:10 UTC 版)
「福島橋 (徳島市)」の記事における「福島橋の人柱伝説」の解説
寛永の昔、福島・沖洲といった地域を結ぶ福島橋は徳島藩や住民にとって主要な橋梁であった。しかし、洪水などの災害が起こるたびに橋は崩壊し、渡り船に頼ったりしていた。 当時、架替は難工事であり、藩や住民は崩壊する福島橋に手の打ちようがなく困っていた。工事に際し、「工事に取りかかる日の夜、亥の刻(午後10時頃)にここを通りかかったものを人柱にしよう」ということになり、六部という人物(山伏とも遍路ともいわれる)が鉦をたたき題目を唱えながら通りがかったのを、懇願して人柱としたとされる。六部は犠牲となって棺に入り、その日から49日間鉦が打ち鳴らされたという。 福島橋西側の歩道。人柱の跡地を避けて大きくカーブして設計された。2008年10月撮影。 人柱の跡地。手前の歩道の柵には人柱伝説を説明した案内板が設置されている。2008年10月撮影。
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