福島正則配下の「赤坊主」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 19:16 UTC 版)
広島藩主の福島正則は、配下の20騎の精鋭武者に「赤坊主」と呼ばれる朱塗の甲冑を着せていたが、1619年(元和5年)に広島城無断修理の咎で高井野藩に減移封されたことで、「赤坊主」20領は正則の妻(牧野康成の娘、昌泉院)が実家の牧野家に戻るとともに同家へ引き取られ、のちにそのうち5領が与板藩分知に伴い牧野康成へ譲られ、さらに牧野康重の小諸藩移封により同地に伝わることとなった。現存する「赤坊主」として、小諸藩時代に御勝手御用達を務めた依田仙右衛門家が所有していた1領(朱塗紺糸威二枚胴具足)を小諸市立郷土博物館が所蔵しているが、甲冑研究家の三浦一郎は、その形式から当該鎧の実際の製作年代は正則の生前ぎりぎりとみなければならないとし、元来は別物だった部品が混入していると推定している。
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