福岡海軍航空隊との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:52 UTC 版)
「福岡飛行訓練所」の記事における「福岡海軍航空隊との関係」の解説
福岡飛行訓練所(元岡飛行場)と福岡海軍航空隊は地理的に密接な関係にあった。 1943年(昭和18年)の夏の終わりごろには、海軍航空基地建設のため、元岡飛行場周辺で大規模な工事が開始された。今山の方向から元岡飛行場の北側、西側の耕作地が掘り返されて1000メートル滑走路が数本できる計画だった。その後、1949年(昭和19年)の6月1日には、周船寺の北にある泉地区に福岡海軍航空隊が開隊している。この際、元岡飛行場の北東にある石崎から、西側の今出にかけて滑走路が完成していると記録されている。 福岡海軍航空隊の施設に関する資料はあまり残っていないが、1945年の米軍の地図では元岡飛行場を含めた一帯がImajiku Airfield(今宿飛行場)として記載されている。米軍の報告によれば、この「今宿飛行場」には長さ4200フィート・幅300フィートの滑走路が3本あり、それぞれ北北東/南南西、東/西、西北西/東南東の方角に設置されていた。1945年時点でいずれも舗装は未完了だったとされている。 これらは飛行訓練所の滑走路ではなく海軍のためのものであったが、隣接していることから、海軍飛行場の建設中の滑走路に元岡の訓練機(中練)が着陸したこともあったという。この不時着の際は飛行場間が地上でつながっておらず、元岡に戻るためには再度離陸しなければならなかった。しかし、その数週間後には工事が進んで地上での行き来が可能となった。海軍航空隊の滑走路が整備不良で使用できなかった際には海軍の九三式中間練習機が飛来し、元岡飛行場を共同で使用していたこともあった。
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