磯貝 元とは? わかりやすく解説

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磯貝元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/21 10:16 UTC 版)

磯貝 元(いそがい はじめ、1919年大正8年)[1] - 2015年平成27年)[2])は、日本の医師内科医駒込病院副院長。医学博士

人物・経歴

静岡県立静岡中学校[3][4]を経て、静岡高等学校 (旧制)卒業[4]1942年昭和17年)、東京帝国大学医学部卒業[4]。直ちに海軍短期現役軍医として従軍。朝鮮元山駐在[2]1943年(昭和18年)1月、海軍軍医学校入学、4月卒業[2]海南島特別陸戦隊附、9月、第三航空艦隊附(八丈島[2]1945年(昭和20年)8月、復員。上京して都立駒込病院(内山圭梧院長)に入局[2]伝染病患者の診療に従事。1962年(昭和37年)、アメリカ、ボルチモアメリーランド大学ボルチモア校英語版に半年間海外研修。1977年(昭和52年)、駒込病院副院長[2]1979年(昭和54年)、定年退職[2]。その後、福祉法人愛隣会診療所長を経て、荒川名倉病院に勤務[2]。傍ら台東区山谷地区でホームレスの健康診断に従事。日本感染症学会評議員を務めた。

明治中期、コレラチフスペストなどの伝染病に罹患した患者は避病院隔離されたが、対症療法が中心であり、抗生物質の登場はなお先のことである。避病院のほとんどは流行の際、病舎を急造しては解体を繰り返していた。駒込病院は恒久施設として1897年1月に新改築され、同年3月に制定された伝染病予防法にもとづいて東京市が所管、運営することになった。

編著の『明治の避病院 : 駒込病院医局日誌抄』は、同病院の勤務医が、当直時の入退院数などの記録とともに所感を記した「駒込病院医局当直日誌」(1899年 - 1909年)に、磯貝が、綿密な考証に基づいた詳細な註を付した抄録である。当時の政府の伝染病対策、伝染病院に収容された患者の悲惨な状態、劣悪な状況の中で診療に従事した医師や看護婦の様子など、伝染病予防法の実態を明らかにした第一級の史料[5]と評されている。

編著

  • 『駒込病院百三十年の史譚 人類の天敵「がんと感染症」への挑戦』 博文館新社 2011.2
  • 『研究業績集成 : 我が国伝染病学最後の巨星内山圭梧博士』 内山圭梧 著 ; 磯貝元 編纂 2005
  • 『築地施療病院の生涯 : 東京市営最初の総合病院』 楽友舎 2003.8
  • 『明治の避病院 : 駒込病院医局日誌抄』 磯貝元 編 思文閣 1999

脚注

  1. ^ 磯貝 元 - Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2024年10月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 泉孝英編『日本近現代医学人名事典 別冊』15ページ。医学書院 2021年
  3. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 65頁。
  4. ^ a b c 『明治の避病院 : 駒込病院医局日誌抄』 巻末編者略歴
  5. ^ 日本医史学雑誌第46巻第1号(2000) 107,108頁 新村拓

関連項目

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