磯崎案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:35 UTC 版)
応募案は全て超高層建築であるが、磯崎案だけは100m以下であった。100mを超える超高層にしなかった理由として磯崎は「丹下さんから教わった市民原理そのものだ」と述べた。審査員の1人である近江榮によれば、磯崎案は審査の過程で何度も俎上に載せられたという。しかし、建築法規に適合しない内容(公道をはさむ2つの敷地にまたがる計画)であったため、審査員から批判を受け、また都議会でも問題になった。丹下と磯崎の師弟対決は、マスコミでも話題を呼んだ。浅田彰は、朝日新聞で、磯崎案を選ぶべきだと述べた。 近江栄は大学の最終講義では、審査内容を公表することを提案したこと、票決の際丹下案を自分は権威的な作品としてバツにしたと述べている。審査員の1人竹山実は、最後までこの案を推したという。 後日、磯崎は丹下が亡くなった後の追悼文に、列島改造以降の丹下はもう余生で、新庁舎は伝丹下健三としておいてもらいたいと書いている。 磯崎案は、コンペ敗北案としては、京都駅(原広司が当選し設計)コンペの安藤忠雄案などと並び、UNBUILT(磯崎はこの題名で本を出している)プロジェクトとしては最も有名な案の1つである。 作家の荒俣宏は、新宿という土地にいちばんベストな風水建築は土性と金性と述べた上で、プラットホームのような台形か丸い頭を持つビルとし、磯崎案が新宿という土地を栄えさせる案と紹介している。一方で丹下案は、地元のエネルギーを一気に吸い上げ都庁だけ強力にしてしまう相であると述べている。
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