研究・論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 19:13 UTC 版)
内藤湖南・宮崎市定・宇都宮清吉の流れを汲む京都学派の一人であり、川勝義雄と共に魏晋南北朝時代の豪族・貴族を理解する上で豪族共同体論を展開。これらを封建地主勢力であるとし、この時代を中世であると主張。宮崎とは若干、考えが異なり、豪族論自体は宇都宮の理解を継承・発展させたものである。初め前田直典、西嶋定生、堀敏一らと時代区分論で論争を行った。 共同体論を巡っては、方法論が異なり、官僚制に主軸をおいて理解しようとする矢野主税・越智重明と激しく論戦した。ただ事実上、中世説の論理的補完は川勝義雄が行っており、矢野等の批判対象も川勝であった。なお矢野・越智は特に時代区分論争に関ること、或は論争自体に消極的であり、谷川・川勝を批判しても、特に古代説を展開することはなかった。
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