砂糖やウコンの専売制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:32 UTC 版)
冊封使の来琉により、王府の財源は底をつきかけていた。この事態を打開するために王府が行ったのが、薩摩藩からの借金(借銀)を元手とした唐物貿易の拡張であった。 一方で薩摩藩側も、王府の行おうとしている唐物貿易に藩財政の活路を見出そうとしていたのである。薩摩藩は、王府のこれ以上の借銀願いを控えるように言いつつ、貿易品やその利益は薩摩藩への借銀返済に充てるのではなく唐物貿易を滞りなく行うための費用として蓄えておくこと、借銀の返済は琉球国内の産物を増産して賄うことといった二点について王府に命じている。 これに対し王府は、康熙帝慶賀使の一行に白糖技術を学ぶ者を随行させたり、砂糖奉行を王府専属の役所として配置した。その後、後述する羽地の仕明地政策と結びつくことで、1667年頃には砂糖とウコンの専売制が開始されるのである。
※この「砂糖やウコンの専売制」の解説は、「羽地朝秀」の解説の一部です。
「砂糖やウコンの専売制」を含む「羽地朝秀」の記事については、「羽地朝秀」の概要を参照ください。
- 砂糖やウコンの専売制のページへのリンク