短距離界の王者へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/10 04:15 UTC 版)
4歳の年明け初戦はケンプトンパーク競馬場のテディントンプレート(6ハロン)で、トップハンデながらも2着の馬に2馬身の差をつけて勝利した。続くロイヤルステークスでは昨年に続いてふたたび敗れたが、その翌戦ジュライカップでは優勝を飾っている。 しかしハンデが重く課せられるようになったこともあり、この後はしばらく不振に見舞われるようになった。なかなか勝ちを得ることが叶わず、その年の最後の競走となったチャッツワースプレートでようやくひさびさの勝利を得るまで6戦を要している。 こういった経緯もあり、スコット卿はサンドリッジの競走能力に限界が来ていることを感じ、この年の末に同馬をニューマーケットのディセンバーセールに出品した。これをジェームズ・バーナート・ジョエルが1450ギニーで購入し、ジョエル兄弟の預託するチャールズ・モートン(英語版)調教師のもとで5歳時を迎えることになった。 5歳時の初戦はふたたびテディントンプレートでこれを連覇、その翌戦ロイヤルステークスでは3回目の挑戦にして136ポンド(約61.7キログラム)を積みながらも、オークスの勝ち馬キャップアンドベルズを制して初めての勝利を手にした。さらに続くキングススタンドステークスとジュライカップでは、どちらの競走でも142ポンド(約64.4キログラム)もの酷量を課せられるが、ともに優勝を飾っている。スチュワーズカップこそスタートの出遅れによって4着に敗れるが、続く8月のデワーレンハンデキャップでは、最高ハンデ差50ポンドのなかのトップハンデ137ポンド(約62.2キログラム)を背負って優勝している。 この年の最終戦は、年末のハーストパーク競馬場で行われたルブリゾンという馬とのマッチレースで、ここは20ポンドの斤量差もあってか2馬身差で敗れている。この一戦のあと、サンドリッジは喘鳴症(のど鳴り)が発現するようになり、以後もこれを引きずったまま6歳を迎えることになった。 このころになるとサンドリッジと他馬とのハンデキャップ差は大きく広がり、明らかにサンドリッジを苦しめた。6歳初戦の一般戦でも、144ポンド(約65.3キログラム)を積んでいたサンドリッジが、88ポンド(約39.9キログラム)の軽ハンデ馬に敗れて2着になっている。しかし酷量を課せられても勝ち星を挙げており、シーズン2戦目にはキングススタンドステークスで142ポンドを積まれながらも連覇を飾り、さらにジュライカップも同斤量で制覇し、同競走3連覇を達成した。 その後も常に重い斤量を積みながら、短距離の大競走で勝ち負けを繰り返した。この年もスチュワーズカップは着外に終わるが、続いてのデワーレンハンデキャップは139ポンドを積んで連覇している。ポートランドプレート2着のあと、スネイルウェルステークスとケンネットプレートで勝ちを挙げている。 この年の末のチャレンジステークスで2着に終わったのを最後に、競走生活を引退した。
※この「短距離界の王者へ」の解説は、「サンドリッジ」の解説の一部です。
「短距離界の王者へ」を含む「サンドリッジ」の記事については、「サンドリッジ」の概要を参照ください。
- 短距離界の王者へのページへのリンク