短歌を通じた交流
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大塚恭男は幼い頃から和歌や漢詩に親しんでいたが、特にアララギ派に傾倒していた。斎藤茂吉と中村憲吉の作品はすべて暗記したという。医学部時代に朝日歌壇に投稿し、1952年3月30日の朝日新聞に斎藤茂吉選として「燈を消して寒くなりたる午後五時の解剖室に手を洗ひをり」が掲載された。 東京大学在学中に短歌・俳句を通じて親交を深めたのが有馬朗人と中西進である。文学部の中西進とともに東京大学短歌会を復活させたのがきっかけで、武蔵高等学校からの親友であった有馬朗人とともに、短歌・俳句の腕を磨き合った仲間で、生涯親交が途絶えなかった。大塚が泥酔した時に中西が大塚の自宅まで送り届けたことから、大塚家では中西を恭男の命の恩人と言い伝えられている。 大学時代に一度、新婚旅行時に中村憲吉の家がある布野を訪れている。その際に中村憲吉の細君に、中村憲吉の句を諳んじて驚かれたそうである。
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