矢田隆男とは? わかりやすく解説

矢田隆男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/28 11:06 UTC 版)

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やだ たかお
矢田 隆男
生誕1847年????
(弘化4年)
京都
死没1923年????
(大正12年)
国籍 日本
職業武術師範
菊亭侯爵家の家臣
警察官
神道家
流派神傳不動流
肩書き警察保安課長
神宮教鳥取本部長
神宮神部署主事
運動・動向二卿事件
刑罰終身監獄の刑
矢田穏清斎
補足

矢田 隆男(やだ たかお、1847年 - 1923年)は、日本武術家神道家である。

経歴

弘化4年(1847年)に京都の矢田穏清斎の子として生まれる。菊亭家の家臣。

父親の矢田穏清斎とともに私塾を開き、京都で神伝不動流を教えた。

尊皇の志篤く欧風化する時流を常に憂い、明治4年(1871年)の二卿事件(愛宕外山の事件)に連座して捕えられ青森県に幽閉された[1]。父の矢田穏清斎は明治4年12月3日に京都において終身監獄の刑となり、明治5年(1872年)2月に鹿児島監獄署に送られている。

明治15年頃(1882年)放免され、岡山県に入り警察保安課長となった。

神宮教に入り鳥取本部管下島根県松江市支部主事を勤め、明治29年(1896年)に神宮教鳥取本部長となった。

神宮神部署設置に伴い鳥取支署長に就任した。神宮神部署主事。叙従八位。

大正7年(1918年)に休職[2]1919年大正8年)依願退職。

大正12年(1923年)没[1]

脚注

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注釈

出典

  1. ^ a b 『神社新報社編『神道人名辞典』神社新報社、1955年
  2. ^ 神宮神部署主事矢田隆男休職ノ件』国立公文書館所蔵

参考文献


矢田隆男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 09:16 UTC 版)

神傳不動流 (真妙流系)」の記事における「矢田隆男」の解説

矢田隆男(やだ たかお)は、弘化4年1847年)に京都生まれる。菊亭家家臣父親である矢田穏清斎とともに私塾開き京都神伝不動流を教えていた。尊皇の志篤く欧風化する時流を常に憂い明治4年愛宕外山事件二卿事件)に連座して青森県幽閉された。明治15年1882年放免岡山県警察保安課長となった後神宮教に入る。鳥取本部管下島根県松江市支部主事勤め明治29年1896年)に神宮教鳥取本部長となったその後神宮神部署設置に伴い鳥取支署長に就任した神宮神部署主事。叙従八位大正7年1918年)に休職大正8年1919年依願退職大正12年1923年)没。

※この「矢田隆男」の解説は、「神傳不動流 (真妙流系)」の解説の一部です。
「矢田隆男」を含む「神傳不動流 (真妙流系)」の記事については、「神傳不動流 (真妙流系)」の概要を参照ください。

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