矢数道明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 16:11 UTC 版)
後世派の一貫堂門下の医師である矢数道明、有道兄弟との親交が他派との交流を象徴する。昭和8年(1933年)、矢数有道が腸チフスに罹患し入院した際、敬節の往診を受け、起死回生の回復をみた。有道本人の見立てでは真武湯であったようだが、敬節は茯苓甘草湯証と見立ててこれを服用させ、症状が好転して退院した。この出会いをきっかけに、以後、大塚敬節と矢数道明の両名が中心となり、流派を超えて大同団結し、昭和漢方復興の大きな牽引力となっていく。まず、昭和9年(1934年)に大塚敬節、矢数道明と清水藤太郎(薬学)が中心となり、日本漢方医学会を結成し月刊誌『漢方と漢薬』を創刊した(他の幹事は、古方:湯本求真、奥田謙蔵、折衷派:木村長久、安西安周、中野康章、森田幸門、薬学:栗原廣三、木村雄四郎、鍼灸:柳谷素霊、医史学:石原保秀。編集兼発行人は春陽堂の気賀林一)。
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