東亜医学協会
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昭和13年(1938年)矢数道明は、漢方医学による日本・中国・満州の三国の文化提携国際親善を目的とした団体を創設することを敬節に提案し、拓大講座を主催した偕行学苑を基盤に東亜医学協会を結成して月刊誌『東亜医学』を創刊した。しかし、昭和16年(1941年)、戦時下雑誌統合令によって、『東亜医学』は日本漢方医学会の『漢方と漢薬』 に統合合併することになる。戦後の昭和29年(1954年)東亜医学協会は再発足して月刊誌『漢方の臨床』を創刊し、現在に至る。
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東亜医学協会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/30 16:14 UTC 版)
1938年(昭和13年)道明は、漢方医学による日本・中国・満州の三国の文化提携国際親善を目的とした団体を創設することを大塚敬節に提案し、拓大講座を主催した偕行学苑を基盤に「東亜医学協会」を結成、中国の葉橘泉、張継有、楊医亜らとも交流を図っていく。1939年(昭和14年)からは月刊誌『東亜医学』を創刊したが、1941年(昭和16年)戦時下雑誌統合令によって、『東亜医学』は「医道の日本社」発行の鍼灸雑誌『医道の日本』とともに日本漢方医学会の『漢方と漢薬』 に統合合併することになる。戦後の1954年(昭和29年)、道明は東亜医学協会を再発足させて理事長となり、月刊誌『漢方の臨床』を創刊する。
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