東亜ホテルとは? わかりやすく解説

トアホテル

(東亜ホテル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 05:17 UTC 版)

トアホテル英称Tor Hotel)は兵庫県神戸市北野町1908年(明治41年)に開業したドイツ系資本の高級ホテルトーアホテルとも呼ばれる。ホテルは1950年(昭和25年)に焼失し、跡地には神戸外国倶楽部が建つ。その名はトアロードに残されている。


  1. ^ 米国イリノイ州シカゴ市1897年第471号 免許建築技師。(帝国銀行会社要録 : 附・職員録 大正8年(8版) 帝国興信所 編 大正8年出版) 下田は、工部大学校を途中で退学。明治22(1889)年に渡米。明治31(1898)年帰国し建築事務所開設。明治34(1901)年に横浜に設計事務所を開く。 横浜で明治6(1873)年9月に創業し関東大震災で崩壊したグランドホテル(現在のホテル・ニューグランドとは資本も経営陣も全く異なる)が、明治34年に、老朽化したので新築が予定されたときに、下田は依頼を受け建築計画を作成した。その後、下田は、神戸のトーア・ホテルの設計を行ったあと上海へ渡り、日本郵船の上海旋滙山碼頭の桟橋の設計を手掛けた。帝国ホテル新館の設計の依頼も受けたが、結局、下田の計画案は採用にならなかった。(「ホテル・ニューグランド50年史」白土秀次著 1977年12月 ホテル・ニューグランド 出版)
  2. ^ 日本紳士録 第7版 交詢社 明治34年出版 p.55には、石油商であるShell Transport & Tradeing Company セル運送及び貿易会社 代表者との記載がある。また、The Japan directory for Tokyo, Yokohama, Kobe, Osaka, Kyoto, Nagasaki, Nagoya, Nemuro, Kushiro, Otaru, Niigata, Hakodate, Sapporo, Moji, Shimonoseki and Formosa 1905、Japan Gazette、明治38年出版、p.593には、Samuel Samuel & Co.の社員として記載がある。「神戸港」田中鎮彦 編 神戸港編纂事務所明治38.5出版 p.114には、サミュエル サミュエル商會(雑貨輸出入、汽船代理店、保険代理業)の支配人と記載されている。Sir Marcus Samuelが創立した同社は、英国ロンドンに本社を置く、現在のShell石油である。
  3. ^ 銀行会社要録 : 附・役員録 20版 東京興信所 編 東京興信所 大正5年出版
  4. ^ The Japan directory for Tokyo, Yokohama, Kobe, Osaka, Kyoto, Nagasaki, Nagoya, Nemuro, Kushiro, Otaru, Niigata, Hakodate, Sapporo, Moji, Shimonoseki and Formosa 1913、Japan Gazette. 大正2年出版
  5. ^ 銀行会社要録 : 附・役員録 第十四版 東京興信所 明30-45出版
  6. ^ 銀行会社要録 : 附・役員録 第22版 東京興信所 編 大正6-7年出版;The Oriental directory 元々堂書房 1921.3出版
  7. ^ Hotel review 46(542) 日本ホテル協会 1995-07出版
  8. ^ 日本紳士録 第4版 交詢社 明治30年出版
  9. ^ 日本紳士録 第5版 交詢社 明治32年出版。また、彼は、International Hospital of KobeのChairmanでもあった。The Japan directory for Tokyo, Yokohama, Kobe, Osaka, Kyoto, Nagasaki, Nagoya, Nemuro, Kushiro, Otaru, Niigata, Hakodate, Sapporo, Moji, Shimonoseki and Formosa 1918 Japan Gazette.大正7年出版
  10. ^ 日本紳士録 第5版 交詢社 明治32年出版
  11. ^ たとえば、「大恋愛学又は超常識論」沢田純一 著 大正1年 梁江堂出版に、トーアホテルの支配人のスイス人コーニッグとの談話に東亜ホテルという表記が確認できる。
  12. ^ 「川崎重工業株式会社社史 年表・諸表」川崎重工業株式会社社史編さん室 編1959年 川崎重工業出版 p.15
  13. ^ 「川崎重工業株式会社社史 年表・諸表」川崎重工業株式会社社史編さん室 編1959年 川崎重工業出版 p.16
  14. ^ 神戸市:神戸を知る トアロード(2015年9月4日閲覧)


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東亜ホテル

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ザ・ペニンシュラ香港」の記事における「東亜ホテル」の解説

1941年12月8日には太平洋戦争大東亜戦争)が勃発しイギリスとの間で交戦した日本軍香港進駐数日後には新界九龍半島占拠される香港島立て籠って抗戦したイギリス軍25日には降伏した。 同ホテル336号室で、日本軍イギリス軍との降伏文書取り交わした香港の戦い参照)。日本軍政下で「東亜ホテル」と改名され戦争中通じて日本軍将校集会所および軍関係者向けのホテルとして使用されていたが、日本の敗戦後元通り一般人向けホテルとして使用されることとなった

※この「東亜ホテル」の解説は、「ザ・ペニンシュラ香港」の解説の一部です。
「東亜ホテル」を含む「ザ・ペニンシュラ香港」の記事については、「ザ・ペニンシュラ香港」の概要を参照ください。

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