瞑想の洞窟としての創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 11:10 UTC 版)
「タクツァン僧院」の記事における「瞑想の洞窟としての創設」の解説
853年に、ランチェン・ペルキイ・シンゲ(Langchen Pelkyi Singye)が瞑想を行うことを目的として洞窟を訪れ、この洞窟を自身の名前から「ペルキイ洞窟」と名づけた。ぺルギイが後に現在のネパールのある場所にて亡くなったときに、神であるドルジェ・レグパ(ドイツ語版)の恩恵により、遺体が奇跡的に僧院に戻されたと言われており、その遺体は現在、入り口の階段左側上部の部屋にあるチョーテン(chorten)に封印されていると伝えられている。このチョーテンは1982年から1983年にかけて修復され、2004年に再び修復が行われた。 11世紀以降、ミラレパやダンパ・サンギエ(英語版)、チベットでのヨギーニ(英語版)であったマチク・ラプドゥン(英語版)、タントン・ギャルポ(英語版)など多くのチベットの聖人や著名人が瞑想を行うために洞窟を訪れた。12世紀後半には、パロにて学校が設立された。14世紀にチベットから、ニンマ派のラマであったソナム・ギェルツェンが来たころに、この地域初の聖地が作られた。ギェルツェンが持ち込んだ絵画は原型を留めていないものの、主要な建造物の上部にある岩にかすかに残っている。1958年の火災後に再建されたタクツァンの寺院である、ウギエン・ツェモ(Urgyan rTse-mo)の建立は1408年だと言われている。タクツァンの洞窟は17世紀中期まで数世紀に渡ってカソグパ(Kathogpa)のラマの管轄下にあった。
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