真相究明に向けて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 07:13 UTC 版)
「モーリス・オーダン」の記事における「真相究明に向けて」の解説
遺された妻のジョゼッテ・オーダンは失踪間もなく司法当局に夫の行方を調査するよう求め、8月にはル・モンドがオーダンの失踪を取り上げて世間の知るところとなると同時に有志による調査委員会も立ち上がった。1958年になってピエール・ヴィダル=ナケが、オーダンが脱出・逃亡したとは考えられずフランス軍将校の手によって殺されたと結論づけた調査報告を発表。しかしシャルル・ド・ゴールによる第五共和政成立でアルジェリア戦争に従軍していた軍人への恩赦が出され、真相究明の道が一旦断たれる。 その後ジョゼッテは、2007年に就任したニコラ・サルコジ大統領に夫の死の真相解明を求める書簡を送ったが返事はなかった。2009年1月2日には数学者となっていた長女のミシェル・オーダン(フランス語版)が、レジオンドヌール勲章の受章対象になっていたことに対し2007年の書簡の回答が得られていないとの理由から受章を拒絶している。後任のフランソワ・オランド大統領は、2012年にアルジェのオーダン記念碑を訪問し直ぐに国防省に対し真相究明を指示、2014年にオーダンが脱出・逃亡していないことを公式に認め失踪に関する文書も現在保管中であると発表した。 エマニュエル・マクロン大統領に代わると失踪に関する文書の公開を求める声が各方面から挙がり、2018年1月12日に文書が公開されたものの殺害を示す明確な記録は無かった。そして同年9月13日にマクロンは、1957年にオーダンが拷問中に死亡あるいは処刑されたと発表。同日、パリにジョゼッテを訪ね「許しを請う」と述べた。
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