相馬御厨の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 08:48 UTC 版)
天治元年(1124年)6月、千葉常重(千葉氏の祖)は上総氏の当主である平常晴から相馬郡を譲られて、10月には相馬郡司となった。そして6年後の大治5年(1130年)6月11日、常重は自らが地主職を務める「相馬郡布施郷」(大雑把に茨城県北相馬郡)を伊勢神宮に寄進し、その下司職となる。その寄進の内容は、 「地利の上分」(田1段(反)につき1斗5升、畠1段につき5升、当時としてはかなりの高率)と、「土産のもの」(雉100羽、塩曳き鮭100尺)を、伊勢神宮に納める その半分を口入りの神主(領家に相当)・荒木田延明がとり、半分を供祭料の名目で一の禰宜元親(本家に相当)が取る 在地において仲介の役を果たした散位源友定を「預所」とする 常重は下司職となると同時に、「地主」として「田畠の加地子」を取る権利を認められ、常重の下司職と権利は子孫に相伝される というもの。この御厨は、同年8月に下総守(藤原親通)の庁宣によって正式に認められた。
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