直江家相続とは? わかりやすく解説

直江家相続

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:23 UTC 版)

直江兼続」の記事における「直江家相続」の解説

天正6年1578年謙信急死後に起こった上杉家後継者争い御館の乱」が収束し戦後処理が行われる天正8年1580年)から、景勝への取次役など側近としての活動資料確認され同年8月15日9月23日)には景勝印判状奏者務めている。 天正9年1581年)に、景勝側近である直江信綱山崎秀仙が、毛利秀広殺害される事件起きる。兼続景勝の命により、直江景綱の娘で信綱の妻であった船の婿養子(船にとっては再婚)となり、跡取りのない直江家継いで越後与板城主となる。以後上杉家兼続狩野秀治2人執政体制に入る。 上杉景勝御館の乱に際して甲斐武田氏同盟関係結んでいた(甲越同盟)。天正10年1582年)には織田信長による武田領への侵攻甲斐武田氏滅亡し武田遺領には織田家臣配置されたが、6月2日本能寺の変信長横死すると武田遺領無主態となり遺領を巡る天正壬午の乱が起こる。景勝武田方に帰属していた北信国衆武田遺臣庇護し北信武田遺領接収し兼続信濃衆との取次務め帰参窓口務めている。

※この「直江家相続」の解説は、「直江兼続」の解説の一部です。
「直江家相続」を含む「直江兼続」の記事については、「直江兼続」の概要を参照ください。

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