皇后エリーザベトの計らい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 09:31 UTC 版)
「カタリーナ・シュラット」の記事における「皇后エリーザベトの計らい」の解説
1885年8月25日、オーストリア皇帝夫妻はモラヴィアの小都市クロミェルジーシュで、ロシア皇帝アレクサンドル3世と皇后マリヤの2人と、オロモウツ大司教の城館で会見した。この会見の狙いは、バルカン情勢を討議し、両国の友好を図るのが狙いだったが、難航しそうな気配であった。そのため、オーストリア側は場の雰囲気を和らげようと寸劇の上演を企画し、カタリーナを含むブルク劇場の役者4人を同伴していた。会見後、余興に名優達の達者な芸が披露され、その後で晩餐会が催された。彼らはその席にも招待され、そこで初めてエリーザベト皇后はカタリーナを紹介された。エリーザベトは彼女に好意を抱いた。先刻から夫のフランツ・ヨーゼフがカタリーナを眺めてうっとりとしているのに気付いたエリーザベトはこの時、2人の仲を取り持ち、彼らを親しくさせてあげようと思いついた。この日の会見は結局目ぼしい成果がないまま終わったが、クロミェルジーシュでカタリーナと過した2日間は、フランツ・ヨーゼフにとって忘れがたいものとなったという。 1886年、エリーザベトは早速自分の思いつきを実行に移し、カタリーナの肖像画を宮廷画家のハインリヒ・フォン・アンゲリに描かせた。そしてその肖像画をフランツ・ヨーゼフに贈る事にしたが、製作中の画家のアトリエで2人が鉢合わせするように取り計らった。5月21日、エリーザベトに付き添われてフランツ・ヨーゼフがアトリエを訪れると、カタリーナ本人がモデルとして座っていた。そんな話は事前に何一つ聞かされていなかったフランツ・ヨーゼフとカタリーナは驚いたが、エリーザベトが積極的に後押ししてくれたため、フランツ・ヨーゼフは、ばつの悪さを感じずにすみ、こうしてエリザベート公認の、2人の不思議な友達付き合いが始まった。フランツ・ヨーゼフの方は、カタリーナに恋愛感情のようなものを持っていたと思われるが、2人の付き合いは最後まで友情的なものに留まる。
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